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みゅるみゅるミュゼット

みゅるみゅるミュゼット

1963年 6月号

好きなことを 職とすべきか 金子元孝


 「好きなことをやって食っていかれるんだから、全く羨ましいですよ。」

 私の頭を刈りながら 散髪屋のおやじは いつもこう言う。

 アコを弾いて、それを職業としている人は、

誰でもそんな風に言われたことがあるに違いない。

そんな場合

「エヘヘヘヘ、……お蔭様で好きなことをやって食ってるんですから、

まぁ 言うことありませんやね。」と答える人はいなかろうと思う。

外から見た眼と、当人になった場合とでは全く違うし、

商売となると 好きも嫌いもない ということは

好きだった筈のことを商売にしてみると よくわかる。

「確かに俺もアコは好きだった筈だが……。きらいではない筈だ」

と今更 己の首をひねる。

しかし 他人から 羨まれるような感覚はなにもない。

これを職業ボケという。

あなたは何かを選ばねばならない。

その際あなたは寿司が大好きで、それを選んだとする。

そしてその晩から毎晩寿司を食わねばならぬ状態におかれたのと似ている。

一週間で少々ウンザリ。一ヶ月で無感動、

一年で諦めにも似た、ただのダ性とあい成る。

そんな頃に、

「旦那は好きなものを食って毎日暮らしてるんだから全く羨ましいですよ。」

と言われると、

「確かに俺は寿司が好きだったはづだが……」

と己の首をひねり度くなるのも無理ではない。

つまりこの感じ。それが商売なのである。

天は人間に同じように自然の恵みを与えている。

晴れの日は王様にも■■自主規制■■にも晴れ。

曇りの日は王様にも■■自主規制■■にも曇り。

好きでもない職業に飛び込んだものにも 時を経るにしたがって

それになれさせて、それほどでもなくしてくれるし、

好きなことだからといって 職業としても 時を経るにつれて、

それになれさせて、それ程でもなくしてくれる。

どっちから入った人間をも 職業という統一した線に意識を合流させてしまう。

然も好きでもない職業の人には退職金があり、

好きなことをやって食った人にはあらかたそれがない。

「好きなことを選んだ」こと自体が そのスタートに於いてこの上ないゼイ沢なこと

なのだから仕方がない。

然も好きなことをやっている人の方に 生活にあせっている人が多いし、

堕落してゆく人が多いのだから人生は難しい。

「芸を志す者、それは王様となるか ■自主規制■ となるかだ」

といわれるのは その中間がないんだ という意味を含んでいる。

毎日のようにテレビ出演にひき出され、映画一本で何百万円というのが王様。

そういうマスコミにのれない無名なのは今まで言ったように

退職金さえないサラリーマンより不安な毎日を送っている。

それでは王様ではどうか。

一度でも王様になるとその味が忘れられず、はた眼から見てその余生が、

最初から無名より 尚みじめに感ずる。

嘗ての花形スターが……と言われている人で、芸を捨てきれなければ、

次代のつまらぬ若いスターの影に廻ることは必定である。

それなら 「只今 王様中」という 飛ぶ鳥を落とす勢いの売れっ子は

金は使いきれぬ程入るし 言うことなしだろう かと考えられやすいが、

そうでもないというのも意外に多いのがこの世である。

当代のスターたちが「私を人間に返してくれ!」と悲メイをあげている気持ちは

私にも解らないでもない。

マスコミの材料、人形としてコヅキ廻され

結局はまわりの喰いものにされているのが少なくないようだ。

 そうなると もう まわりの言う通りに動いている。

 側近の進言に対して王様の答えはいつも同じ言葉

「よきにはからえ」である。

侍従に自分の行動一切をまかせきっているのが王様。

「芸に志すもの、それは王様となるか、■■自主規制■■となるか」

とは的(マト)をはずれた言葉でもなさそうだ。

<fin>


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